※写真は第1回バル街、ビアバー山下で集う鎌田昭男東京ドームホテル総料理長、岸朝子料理評論家、深谷宏治代表など。

2004年2月16日から2日間、函館市で「2004スペイン料理フォーラム in HAKODATE」という国際会議が開かれました。現代のスペイン料理が世界の料理シーンのトップを走っているにもかかわらず、日本ではヨーロッパの田舎料理のようにとらえられたままの状況がありました。それに対し、「料理は文化である」と考えてきた函館市にある日本唯一のバスク料理のレストラン「レストラン・バスク」のオーナーシェフ深谷宏治が、自分が修業したバスク料理を含む「スペイン料理の現在」を正しくとらえてもらう必要があると思って企画した会議でした。スペインから、またスペイン出身で日本にピンチョスを広めてきたシェフたちを招き、国内からはスペイン料理のスペシャリストばかりでなく、フレンチや中華などの第1線の料理人、料理評論家などが函館に集まり、さまざまな角度からスペイン料理を話し合うことで画期的な成果を見ることができました。
しかし固い会議ばかりでは、料理文化がもつ楽しさがどこかに行ってしまうと考え、2日間にわたってスペイン料理講習会、スペインワイン試飲会、スペイン曲のギターとヴァイオリンのコンサート、深夜のフラメンコライブなども行われました。ゲストのレシピによる記念パーティーも行われました。このようなイベントの一つとして、会議の前日の16日に前夜祭として行われたのが、「西部地区で一晩のバル街を」という企画でした。

これはスペインの飲食では欠かせない「バル」、とりわけバスク地方のバルの連なりを巡り歩く楽しさを再現できないかと思った深谷シェフが、函館の旧市街地である西部地区のお店に呼びかけ、「一晩だけのバル街」を実現させたものでした。西部地区25店の飲食店の協力で行われ、430人ほどの人たちが夕刻からチケットを持って街に繰り出しましたが、冬の寒さにもかかわらず大盛況で終わりました。 スペイン料理フォーラムのゲストで来られた料理評論家の岸朝子さん、東京ドームホテル総料理長の鎌田昭男さんたち、また参加客として来られていた俳優の辰巳琢郎さんなども、町並みと飲食がマッチした企画として「バル街」を絶賛されました。そして参加した市民からも、西部地区を見直すことになった、ぜひもう一度やってもらえないかという声が多数寄せられたのでした。そのため、「スペイン料理フォーラム」の実行委員会を母体にして「函館西部地区バル街実行委員会」が作られ、同年の10月に第2回のバル街を開催、以降単独イベントとして年2回の開催が続いてきました。
バル街の継続は本場バスク地方の人たちにも感謝され、また、スペインの料理文化を広めるのに貢献していると在日本スペイン大使からも感謝の言葉をいただきました。「バル」という言葉はあっても、「バル街」という言葉は2004年2月までは存在していませんでした。いまでは日本のあちこちで、「○○バル街」「○○バル」というイベントが開かれています。2004年のフォーラムだけがきっかけではないでしょうが、「バル」を末尾につけた和食の飲食店もあるなど、「バル」という名称はジャンルを超えて使われるようになっているようです。「西部地区で一晩のバル街を」から始まったスペインのバル文化の波及は、まだまだ続いていくのかもしれません。